最近広告をほとんど見なくなった話
30代になってから、日常の中でふと気づいたことがありました。
それは、「広告をほとんど見なくなったな」ということです。
テレビはまったく観なくなり、YouTubeはプレミアム会員なので広告は一切表示されない。
SNSも以前ほど熱心に見ていないから、目に入る広告の数自体がぐっと減っています。
この生活が、想像以上に心地よくて。
“思考のノイズ”が減ったおかげで、自分の考えにしっかり集中できるようになった。
広告って、やっぱり必要以上に人の判断を揺さぶってくるなと、改めて感じました。
久々に触れた広告だらけの世界に、違和感
先日、ある調べ物をしていて、いくつかのブログやTwitterを回っていたときのこと。
ページを開くたびに現れるバナー広告、記事の途中で割り込んでくる動画、いきなり音が鳴るポップアップ……久々に“広告が日常に入り込んでいた時代”を思い出しました。
そのとき強く感じたのは、「うるさいな」「なんでこんなに集中できないんだろう」という違和感です。以前は慣れていたはずなのに、広告を見ない生活に慣れた今では、もう完全にノイズとしてしか受け取れませんでした。
でも、広告って“全部が悪”なのか?
そんなふうに「広告いらないなぁ」と感じつつも、ちょっと立ち止まって考えました。
このブログ記事にたどり着いたあなたも、おそらく何かしらの悩みやモヤモヤを抱えていて、「広告ってどうなの?」「情報疲れするのってなんでだろう?」と検索してくれたのではないかと思います。
そうであれば、広告って一概に“ノイズ”だけではなく、「今の自分に必要なヒント」としての役割もあるんじゃないかと。
自分から取りに行くときの広告は、ありがたい
自分から答えを探しにいっているときに出会う広告は、実はすごくありがたい存在だったりする。
それは「悩みの先回り」であり、「選択肢の補助線」になってくれるもの。
逆に、何も考えていないときに不意に割り込んでくる広告は、ただの雑音にしかならない。
つまり、広告の良し悪しって、広告側の問題だけじゃなくて、自分が“どんなモード”でいるかによって変わってくるんですよね。
だから、広告自体を否定するのではなく、「いつ、どんな形で出会うか」が大事なのだと、最近は強く思うようになりました。
正直に言います。私は広告、載せます。
今の時点ではまだ載せていません。ですが、将来的にはこのブログに広告を載せる方針です。
なぜなら、それによって得られる広告収入があるからです。
きれいごとを言っても仕方ないし、「ブログを書くこと=価値を届けること」だとすれば、その対価があるのは自然なことだと思っています。
もちろん、なんでもかんでもゴチャゴチャと広告を貼りまくるつもりはありません。
読む人の邪魔になるような形式にはしたくないし、内容や読者の関心に沿った広告のみにしたい。
つまり、「広告は載せるけど、雑音にはしない」という姿勢でやっていこうと考えています。
自分で選べる時代だからこそ
広告に囲まれすぎると、思考が濁るのは確かです。
でも逆に、自分で取捨選択できる時代だからこそ、「どう広告と付き合うか」を考えることが大事なんじゃないかとも思います。
全部を拒否するのではなく、必要なものを、必要な人に、必要なタイミングで。
そんな“さじ加減”を大切にしていきたい。
広告は敵じゃない。ただし、味方にするにはルールがいる。
これが今の僕の考えです。
広告とのちょうどいい距離感、一緒に探っていきましょう。